2014年3月30日日曜日

バトンタッチ

移動の時期です。

26日に赤倉小学校でも、PTA主催の転出教職員の送別会及びPTA会員の退会式がありました。
先生方は校長先生始め4名(9名中)の方が転出され、PTA会員も1名、長女の卒業を機に千葉県に引っ越します。
寂しくなります(ToT)

校長先生の転出の御挨拶で、印象深い言葉がありました。
『赤倉小学校は本当に良い学校でした。3年前に新任の校長として赤倉に来ましたが、日々本当に地域の方の暖かさを感じました。このような赤倉に来れた事は決して忘れません。しかし、このような良い小学校をひとりじめにする事は出来ません。後任の方々にもこの気持ちを分けてあげたい』と言って下さりました。 赤倉冥利に尽きます。

4月から5名の先生方が新しく転入されます。
新入生も9名。 今年度もどのような1年になるでしょうか。
楽しみです。

2014年3月20日木曜日

赤倉小学校卒業式

3月18日 火曜日、赤倉小学校でも 卒業式 がありました。

と、一度書いたのですが、なんかいじっているうちに消えてしまった !?
  <ショック>

なかなか同じ文章は書けませんが、少し思い出して、書いてみます。




      次 第


   1. 開式のことば
   2. 国家・校歌斉唱
   3. 卒業証書授与
   4. 校長式辞
   5. 来賓祝辞
   6. 記念品贈呈
   7. 来賓紹介・祝電披露
   8. 別れのことば
   9. 閉式のことば


今年の卒業生は女の子 4名。
とても素直で可愛い4人組でした。
6年前の写真を見ると、みんなの成長がとても微笑ましく思えます。

別れのことばは、聞いていて目頭が熱くなり、もらい泣きする人もチラホラ。
赤倉のコーラスの面々も、昨年から卒業生を送る歌をうたって華を添えて下さいました。

赤倉小学校の卒業式は、昨年から一般の方にも声をかけ、今年も約20名ほどの地域の方々が見に来てくれました。
赤倉温泉町内会でも『子育ち憲章』を作り、地域で子どもを育てようと、自分達の子どもや孫を見る様な暖かい目で見守って下さってます。

4人の内、3人は向町にある最上中学校に、1人は引っ越しがあり、遠く千葉県柏市の中学校に入学します。離れていても心はひとつ、いつまでも友達でいて欲しいと思います。

最後の写真は、小学校の玄関で在校生が卒業生に直接声をかけエールを送り、手で作ったアーチをくぐってもらいます。もう何年も恒例となっていますが、雨の中くぐり終えたその場から先に先にアーチを作りに行き校門近くまで行った様子です。
いつまでも........................




2014年3月15日土曜日

新お土産品 2

昨年12月8日に、新そばまつりを赤倉温泉・お湯トピアで行いました。
その時に、試作の試作としていろいろなものが作られました。そば饅頭、そば羊羹など - - - - - 

最上産の 最上早生 という種類の蕎麦のそば粉を使った産品です。
残念ながら、赤倉温泉産ではないのですが、2月に三品試作品が出来ました。

【  手折りの麺(乾麺)】
棒麺でないのがこだわりです。つゆ付。
裏側に作り方が書いてあります。
(もりそば・汁そばの)
書いてありませんが、10分程水に浸けてから作るとさらに美味しいそうです。

価格:300円


【 そばあめ 】
見ての通りのあめです。
この辺では、『あめっこ』といいます。
(わりとなんでも、っこを付ける)
味と食感、色などみんなの意見を聞き、さらに改良していきます。

このままでも美味しかったですが。

価格:300円













【  そば茶 】
試作品の内容量は、200g でしたが、150g になる予定です。

そばの香りが、とっても良いです。
香りだけで、最上早生のそば茶とわかれば達人です。

価格:600円


まだ少し改良の余地はありますので、食べて・舐めて・飲んだ方は、ご意見をお願いします。
試験提供(モニター)中。

宮嶋商店・後藤商店・早川商店他、一部旅館。




さて、先にご紹介した最上赤にんにくを使った『最上赤 焼肉秘伝』ですが、新庄のゆめりあや最上町内のスーパー等でも販売を始めました。1本 500円。(@200g)
12日に赤倉小学校で発売記念パーティーが開かれ、各メディアの方々も取材にいらっしゃいましたので、ニュース・新聞等で見た方もいるでしょう。
拙僧はまだ食してませんので、近日中にはと思っております。

第1弾は170本の製造だそうです。早く、早く - - - - - 
売上の一部は赤倉小学校に還元されるという事で、皆さん何卒お願い致します。



明日16日は、
  最上中学校の卒業式。
  赤倉温泉スキー場で、アンダーテン(10才以下)スキー大会
   (三回目のサービスディーでもある)
  前森高原で、灯々祭http://toutousai.jimdo.com

2014年3月13日木曜日

PARADISE #1


   パラダイス ♯1


 とても、とても長い時間、雨は降っていた。

いつの間にか ただ日々を重ねているだけの 疲れきったような暮らしをしている俺にとって、雨はすべてを流し去ってくれるような、そんな気がしていた。
何かを 何処か遠くに忘れてきたような、淋しさがあった。

コツッ、コツッ、コツッと、階段を昇ってくる聞き覚えのあるリズムが聞こえて、俺の部屋の前で止まり、それから少しためらったような間があって、ノックが三つ廊下に響いた。
ドアを開けると そこには 涙に濡れた彼女の顔があった。
「どうしたんだい?」
と 聞いた俺に、
- - - - -   - - - - - - - - 。 」
何処か遠くを見ているような寂しい目をするだけで、何もこたえはしなかった。
「中に入って。」


今日は、五月五日 ・・・・・・・  まだ梅雨には早いが、西の方から降り始めた雨が『都会』のアスファルトを 白から黒へ染めて行く。
世間では 何か政治のお祭りがあるらしく、ゴキブリのような殻を身にまとった兵隊達が、しきりに肩を怒らして歩き回っている。
そんな五月だった。

ピンクの好きな彼女は、今日もピンクのブラウスを着ていた。
いつもと違っているのは、ビショビショに濡れたからだと、あかく腫れた彼女の『瞳』だった。

    彼女と初めて逢ったのは、四年前のY公園で、蝉が我こそは夏の王者と
   誇ってか、それとも短過ぎる運命を恨んでか、精一杯鳴き続けているとて
   も暑い夏の日と記憶している。
   その声に混じって 遠くから一段と大きな喚声が聞こえて来た。
   俺はベンチに腰掛けて 二本目のBeerを飲み干したところだった。
   誘われるように歩いて行くと、近くの子供達だろうか、ベースボールのゲ
   ームの最中だった。
   思い思いに ボールを追いかける子供達の中に 一人だけ大人の女の娘が混
   っていた。
   俺は始めボンヤリとそれを見ていたが、いつの間にか吸い付けられるよう
   に彼女だけを目で追っていた。 飛び散る真珠の汗と、少年のように無邪
   気に笑っている瞳がとても印象的に映った。
   そういえばあの時も ピンクだった。
   なんだかその時の『Scene』を今日の彼女の顔を見て思い出していた。


 どうしたのか気にはなったけど、俺は何も聞かなかった。
そして、去年の秋にハワイで買って来た、お気に入りのバスタオルと彼女には少し大きめのブルーのシャツを出して、
「これに着替えろよ。
   風邪引くぞ - - - - - - 。」
こんな時、少し変かもしれないが、今日の彼女は驚くほどSexyに見えた。
「ありがとう - - - -
と、ひと言だけ彼女は言った。
「今、あったかいコーヒーいれるから。」
ポットをレンジにかけ、5分間沸騰させてから火を止めて、いつもより少し荒めに挽いたコーヒー豆の上にお湯を注いだ。
砂糖を二杯、ミルクを一杯。
今夜は少し多めにミルクを入れようか。

 さっきより、雨は激しく降って来て、風も少し強くなったようだ。

 <  今夜はお願いだから、あなたの腕の中であたためて  >
そう言いたげな瞳をして、彼女は俺の中に飛び込んで来た。
こんなこと、いつかもあった様な気がした。
FENが、なにやら懐かしい時代の音楽を吐き出していた。
頭の隅に、その頃俺の左ポジションを占領していた、胸の小さなショートカットがよく似合う可愛い女の子の面影が浮かんで来たけれど、TVのコマーシャルのように、すぐに消えて行ってしまった。


 彼女がコーヒーを飲み干してから、俺の腕の中で長い時間が過ぎた。
腕が痺れ過ぎて感覚がなくなってきた頃、彼女は俺の頬にKissをひとつしてくれた。
「何か欲しいものはあるかい?」
と、俺は彼女の[瞳] に話しかけた。
「ウウン、なんにも 
そして、何かを探しているように少し顔を上げ、
「ひとつだけ。もう少しだけ こうしていたい  - - - - - - -  」
そう言い、目をつぶって再び顔を埋めた。


 ひとつ、ふたつ、みっつ、 いろんな出逢いを考えていた。
いつも人は去って行った。
独りを感じる事が多かった。
孤独の中にあたたかさは、感じられなかった。
頭の中で何かが不規則にまわっていた。
気が付くといつのまにか時間が止まってしまっていた。
いや、時間なんて始めからなかったのかもしれない。
ただ、『時間を刻む機械』が、グルグルと針を重ねながらまわっていただけかもしれない。
ある日、突然、世界中の時計がなくなってしまったらどうなるのだろう。
みんなは、一同にパニックに襲われるかもしれない。
でも、それはひとときだけの事。ひとつの目安が無くなっただけ。
また自分だけの『かわりのモノ』をまわして行くだけ。

《 俺にとって、彼女はなんだろう。 》
《 彼女にとって、俺はなんだろう。 》

 意識が再び [現実] に戻りかけた頃、彼女の寝息が聞こえてきた。
それは、とても懐かしく、たましい ] をかすめながら何かを詩っているような気がした。
 いや、考え過ぎなのかもしれない - - -

規則的に、スゥー、スゥーっと俺と同じ空気を吸っている。
お互い、もう1年早く、もしくはもう1年遅く生まれて来たのなら、今こうしている事はなかっただろう。


   安心しきって眠っている彼女の顔を見ていると、なんだかとても
   落ち着く様な気がした。
   今まで味わった事のないような、どこか遠いところで夢見ていた
   ような、とても心地好い. . . . . . . . . 
   ひとは皆、安心して眠れる心の安らぎの場を求めている。


Givenchyが、甘く切なく香った。
俺は、暫く忘れていた優しい気持ちに、また明日からなれる様な気がした。

相変わらず外では雨が降っていたが、
     きっと、もうすぐ - - -


                                 Close  # 1


本文と写真は関係ありません。
Scene : 1989. Spring


2014年3月10日月曜日

新お土産品 1

赤倉温泉のお土産品の話題です。

 最上赤 焼肉秘伝。

これには少しだけ物語があります。
以下、赤倉小学校の Facebook より

24年度3・4年生が、赤倉学習(総合的な学習の時間)の中で「赤倉の特産品PR大作戦!」というテーマで、最上赤にんにく、やまがた地鶏、アスパラ麺の3グループで学習を行いました。

24年9月1日に、瀬見温泉で行われた最上赤にんにくのイベントにて赤にんにくグループは、学習の成果を発表する機会をいただき、そのお礼として赤にんにくの料理をいただきました。

時間の関係などで、その時いただいた料理は、赤倉温泉観光協会、瀬見温泉観光協会の考案した料理だけで、鶴岡市「アルケッチャーノ」奥田政行シェフの料理を食べることが出来ませんでした。
そのことをあとでお聞きになった奥田シェフは、是非、今後赤倉小学校に出向いて、自分の料理を味わってもらいたいというお話しがありました。
25年度に入り、奥田シェフとのタイミングを探ってきたところ、6月22日に最上町に来られるということで、赤倉小学校にも来校いただきました。
前年度の3・4年生は4・5年生になっている。赤倉学習において、5・6年生は,地域に笑顔を届けたいということで、えがお放送局に取り組んでいる。
その番組の一つとして「フェイメスゲストコーナー」があり、その学習の一環として、奥田シェフの、職業観、食材、山形、赤にんにくに対する思いなどについて話を聞くことができた。子どもたちは,大変感激しながら話を聞き、たくさんの質問をすることができた。そして一人一人に、個々にあったサインまでいただきました。
そこで、子どもたちから、「是非,今日の話を聞くことができなかった友達にも話を聞かせてあげたいし、奥田シェフのお料理も実際に食べてみたいので、もう一度来校していただけないでしょうか。」という話しに対して、奥田シェフからは「是非、もう一度、赤倉小学校に来たい。わたしは、最上赤にんにくを使った焼き肉のたれを赤倉小学校の子どもたちとコラボしたいと思っている。この次に来校するまで、一人一人が、焼き肉のたれを試作していてください。それをわたしが味見して、コンテストをして、私と赤倉小学校の子どもたちが合作した焼き肉のたれを作りましょう。」との話をいただいた。
24年7月16日、生産者の高木厚さんのご厚意で、全校児童で赤にんにくを掘らせていただき、みんなが2株いただくことができた。1株は自宅に持ち帰り、1株は学校で乾燥させた。
夏休み中3年から6年の子どもたちは、最上赤にんにくを活用した焼き肉のたれつくりをし、今回試制作したものを持参している。(自分で掘った赤にんにくを使用している) 
そして、「焼き肉の日」25年8月29日「ようこそ奥田シェフ最上赤にんにくの集い」in赤倉小学校を開催した。この日までに、3年生以上の児童21名がそれぞれ考案した焼肉のたれ21種類を持ち寄った。それを奥田シェフがひとつひとつ味見し、どんな料理にあうかなど、詳細なアドバイスをいただいた。また奥田シェフ、最上町長らと児童自ら「最上牛」にあう焼肉のたれはどれかを審査し、5年男子児童が作ってきた「焼肉のたれ」選択しグランプリとした。奥田シェフからは、赤にんにく、赤倉地区の特産品のPR(児童の当初の目的である)のためにもと、商品化のアドバイスをいただいた。

赤倉ファーム、三和食品などの協力を得て、この度、実際に「最上赤 焼肉秘伝」という名称で焼肉のたれが商品化されることになりお祝いとして、赤倉小学校児童、あかくら幼稚園児、地域の方々、関係者とともに、試食会を開くこととなった。



アルケッチャーの奥田シェフ・赤倉小学校の子供達・赤にんにく生産者の高木さん、そしてたくさんの皆さんの御協力と努力によって出来た生産物は、スゴイ意味があると思います。
さっそく、味わってみたいですね。
赤倉温泉内の早川商店さんで扱っています。


2014年3月9日日曜日

赤倉温泉 雛の道 3

三之亟さんの雛人形です。

お内裏様とお雛様のお二人で、とてもお美しい顔をしておいでです。 宮中では さぞ おモテになったことでしょう。
古典雛ではありませんが、これからたくさんの歴史を刻んで行くことでしょう。


雛祭りとは、 中国から伝来した五節句のひとつで、上巳(じょうし、じょうみ)の節句桃の節句とも呼ばれています。
上巳とは、3月の最初の巳の日という意味で、邪気に見舞われやすい日とされていました。

中国では古くから水辺で穢れを払う風習があり、上流から流される杯で酒を飲み、唄を詠んで穢れを祓う曲水の宴などが行われており、それが平安時代に日本に伝わりました。

もともと日本には形代(かたしろ)という身代わり信仰があったため、紙や草の人形で人間の体をなでて自分の心と体の穢れを移しとったあと、その人形を川に流す流し雛が行われるようになりました。

また、平安時代の宮中や貴族の女の子の間で雛(ひいな)遊びという紙製の人形を使ったままごとと遊びが盛んになり、やがてこれらが結びついて男女一対の紙製立雛が誕生し、時代と共に変遷しながら、江戸時代には豪華な雛人形を雛壇に飾るようになりました。

旧暦の3月3日は新暦でいえば4月なかばにあたります。この頃には古くから邪気払いに使われてきた桃の花が咲くことから桃の節句とも呼ばれ、雛人形を飾る雛祭りとして親しまれるようになっていったのです。  (参考資料 All About より)



 三之亟図書館。
ゆっくりと自分の時間を過ごせます。


最近はスケジュールに追われるような旅行が多くなりました。

たまにはいろんなしがらみを忘れ、素に戻り、心の分解掃除をしないとなあ。





2014年3月5日水曜日

赤倉温泉 雛の道 2

湯澤屋さんのお雛様。
歴史を感じるお雛様ですが、いつの時代のものかは わからないそうです。

お社の中に入っております。

全 体
吊るし雛も見事です。               お社の中のお雛様、アップ。    

                立派な「たくわえ(髭)」を持っています。
 お内裏様とお雛様の位置関係。
京雛の並び(参考資料)
『京雛』と『関東雛』では位置が逆になります。
お内裏様は宮中での天皇の並びを模したものなので、日本古来の「右が上位」とする考え方(天皇が北を背に南に向って立った時に、日の出の方角=右が上座、日没の方角=左が下座とする。)から、向かってお内裏様が右側、お雛様は左側でした。(参考資料→)
(舞台の上手、下手も同じ考え方なのでしょうか?)
ところが明治の文明開化で日本も西洋式に習い、大正天皇が即位式で左に立ったことから、以降はそれが皇室の伝統となり現在に至っているのだそうです。
『京雛』は伝統を重んじ古式にのっとっていますが、『関東雛』は現在の「結婚披露宴の雛壇」と同じ並びです。


2014年3月3日月曜日

赤倉温泉 雛の道 1

今日 3月 3日は 女の子の節句、 お雛様(雛祭り)。

和歴(太陰太陽暦)の3月の節句(上巳)である3月3日(今年は4月2日)に行われていたが、明治6年(1873)1月1日の改暦以後は一般的にグレゴリオ暦の3月3日に行う。
しかし、ここ山形ではまだまだ旧暦に行うことが多い。
旧暦では桃の花が咲く季節になるため、『桃の節句』となってはいるが、この辺りで桃の花が咲くのは4月下旬かなあ。 梅も桜も桃もほぼ同時に咲く。
山形では雛の道の催し物をあちらこちらでやってますが、ここ赤倉温泉でもやってみようと思います。

ウチにも何組かお雛様がいらっしゃいますので、まずはまるひらさんから。



 以前は、バーン!と七段飾りというのもありましたが、今はそこまではやりません。
飾らないのも、お雛様がかわいそうなので、数年前に新聞の記事を見て知った、村山市に寄贈しました。
ここでは、あちらこちらから譲り受けて、数百体か数千体のお雛様を飾っておりました。
そういえば、ここんところ見に行ってないなあー。

一番上は、メインになるお雛様です。 二番目は店に飾っている凛々しいお顔の。
他にもめんこいのが数組。

予定では、各旅館さんでも飾り始めているので、紹介出来ればと思っています。
 (これから交渉)

以前肘折温泉に行ったときも、歴史を感じるお雛様が各旅館に飾ってありました。
それを『ひなめぐり』と言って解放し、皆に見てもらってましたので、赤倉でも出来たらなあと思います。