内容的には、御祈祷と交流会と言うことになりますが、尾花沢の市野々(いちのの)、最上町の赤倉と一刎(ひとはね)の三地区の方々が集り顔を合わせ、同じ地蔵様にお参りするのは素晴らしい事だと思います。
さらに赤倉温泉では『子育ち憲章』をつくって子宝や子供の育て方に関しては情景が深いものがあります。
そしてここは松尾芭蕉が難儀して通ったとされる峠である。
山頂の案内板には、
元禄2年5月17日(新暦7月3日)芭蕉と曽良が越えた山刀伐の頂上がこの辺りであった。往時は原生林が山を覆い、馬の交易や出羽三山参詣の道筋でもあった。
山刀伐峠 - - - - - 標高470mで北側が急で南側が緩やかな地形が猟師や農民がかぶる「ナタギリ』に似ている事から山刀伐峠と呼ばれるようになったと言われる。
峠の地蔵 - - - - - 舟形の猿羽根地蔵と兄弟と言われる「子宝地蔵」として信仰が厚く、旧三月、七月の二十七日が縁日とされている。
子持ち杉 - - - - - 地蔵堂の傍らに立つ老杉は、幹からひこばえのように枝を伸ばし、村人に「子持ち杉」と呼ばれ、神霊の宿る木と信仰されている。
とあります。
赤倉の芭蕉さんが奥の細道を行く。 |
山頂に奥の細道 山刀伐峠の石碑が建立されており、芭蕉が峠を通った時の事の様子が刻まれている。
(奥の細道の文章より)
高山森々として、一鳥声きかず、木の下闇、茂りあひて、夜行くがごとし。雲端(うんたん)に土ふる心地して、篠の中、踏み分け踏み分け、水をわたり、岩につまづいて、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。
内容は、高い山が森々として木が生い茂り、鳥の声ひとつ聞こえてこない。木の下は暗く枝葉が茂り合っていて.....
とつづく。
今は、鳥の声もセミの声も賑やかに聞こえて来る。
左写真の赤い実はなんの実なのだろう? 木々の中にすっごく目立ってました。
真中は、楢の木もだつだそうです。(食べられます)
右の怪しいものは、聞くところによるとユウレイダケ。本当にその名前かは?です。
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