パラダイス ♯1
とても、とても長い時間、雨は降っていた。
いつの間にか
ただ日々を重ねているだけの 疲れきったような暮らしをしている俺にとって、雨はすべてを流し去ってくれるような、そんな気がしていた。
何かを 何処か遠くに忘れてきたような、淋しさがあった。
コツッ、コツッ、コツッと、階段を昇ってくる聞き覚えのあるリズムが聞こえて、俺の部屋の前で止まり、それから少しためらったような間があって、ノックが三つ廊下に響いた。
ドアを開けると そこには 涙に濡れた彼女の顔があった。
「どうしたんだい?」
と 聞いた俺に、
「 - - - - - - - - - - - - - 。 」
何処か遠くを見ているような寂しい目をするだけで、何もこたえはしなかった。
「中に入って。」
今日は、五月五日 ・・・・・・・ まだ梅雨には早いが、西の方から降り始めた雨が『都会』のアスファルトを 白から黒へ染めて行く。
世間では 何か政治のお祭りがあるらしく、ゴキブリのような殻を身にまとった兵隊達が、しきりに肩を怒らして歩き回っている。
そんな五月だった。
ピンクの好きな彼女は、今日もピンクのブラウスを着ていた。
いつもと違っているのは、ビショビショに濡れたからだと、あかく腫れた彼女の『瞳』だった。
彼女と初めて逢ったのは、四年前のY公園で、蝉が我こそは夏の王者と
誇ってか、それとも短過ぎる運命を恨んでか、精一杯鳴き続けているとて
も暑い夏の日と記憶している。
その声に混じって 遠くから一段と大きな喚声が聞こえて来た。
俺はベンチに腰掛けて 二本目のBeerを飲み干したところだった。
誘われるように歩いて行くと、近くの子供達だろうか、ベースボールのゲ
ームの最中だった。
思い思いに ボールを追いかける子供達の中に 一人だけ大人の女の娘が混
っていた。
俺は始めボンヤリとそれを見ていたが、いつの間にか吸い付けられるよう
に彼女だけを目で追っていた。 飛び散る真珠の汗と、少年のように無邪
気に笑っている瞳がとても印象的に映った。
そういえばあの時も ピンクだった。
なんだかその時の『Scene』を今日の彼女の顔を見て思い出していた。
どうしたのか気にはなったけど、俺は何も聞かなかった。
そして、去年の秋にハワイで買って来た、お気に入りのバスタオルと彼女には少し大きめのブルーのシャツを出して、
「これに着替えろよ。
風邪引くぞ - - - - - - 。」
こんな時、少し変かもしれないが、今日の彼女は驚くほどSexyに見えた。
「ありがとう - - - - 」
と、ひと言だけ彼女は言った。
「今、あったかいコーヒーいれるから。」
ポットをレンジにかけ、5分間沸騰させてから火を止めて、いつもより少し荒めに挽いたコーヒー豆の上にお湯を注いだ。
砂糖を二杯、ミルクを一杯。
今夜は少し多めにミルクを入れようか。
さっきより、雨は激しく降って来て、風も少し強くなったようだ。
< 今夜はお願いだから、あなたの腕の中であたためて >
そう言いたげな瞳をして、彼女は俺の中に飛び込んで来た。
こんなこと、いつかもあった様な気がした。
FENが、なにやら懐かしい時代の音楽を吐き出していた。
頭の隅に、その頃俺の左ポジションを占領していた、胸の小さなショートカットがよく似合う可愛い女の子の面影が浮かんで来たけれど、TVのコマーシャルのように、すぐに消えて行ってしまった。
彼女がコーヒーを飲み干してから、俺の腕の中で長い時間が過ぎた。
腕が痺れ過ぎて感覚がなくなってきた頃、彼女は俺の頬に[Kiss]をひとつしてくれた。
「何か欲しいものはあるかい?」
と、俺は彼女の[瞳] に話しかけた。
「ウウン、なんにも 」
そして、何かを探しているように少し顔を上げ、
「ひとつだけ。もう少しだけ こうしていたい - - - - - - - 」
そう言い、目をつぶって再び顔を埋めた。
ひとつ、ふたつ、みっつ、 いろんな出逢いを考えていた。
いつも人は去って行った。
独りを感じる事が多かった。
孤独の中に[あたたかさ]は、感じられなかった。
頭の中で何かが不規則にまわっていた。
気が付くといつのまにか時間が止まってしまっていた。
いや、時間なんて始めからなかったのかもしれない。
ただ、『時間を刻む機械』が、グルグルと針を重ねながらまわっていただけかもしれない。
ある日、突然、世界中の時計がなくなってしまったらどうなるのだろう。
みんなは、一同にパニックに襲われるかもしれない。
でも、それはひとときだけの事。ひとつの目安が無くなっただけ。
また自分だけの『かわりのモノ』をまわして行くだけ。
《 俺にとって、彼女はなんだろう。 》
《 彼女にとって、俺はなんだろう。 》
意識が再び [現実] に戻りかけた頃、彼女の寝息が聞こえてきた。
それは、とても懐かしく、 [ たましい ] をかすめながら何かを詩っているような気がした。
いや、考え過ぎなのかもしれない - -
- 。
規則的に、スゥー、スゥーっと俺と同じ空気を吸っている。
お互い、もう1年早く、もしくはもう1年遅く生まれて来たのなら、今こうしている事はなかっただろう。
安心しきって眠っている彼女の顔を見ていると、なんだかとても
落ち着く様な気がした。
今まで味わった事のないような、どこか遠いところで夢見ていた
ような、とても心地好い. . . . . . . . .
ひとは皆、安心して眠れる心の安らぎの場を求めている。
Givenchyが、甘く切なく香った。
俺は、暫く忘れていた優しい気持ちに、また明日からなれる様な気がした。
相変わらず外では雨が降っていたが、
きっと、もうすぐ - - - 。
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