2013年9月11日水曜日

赤倉温泉 紹介

 ここで、 赤倉温泉の事を書いてみようと思います。
赤倉温泉は、東北地方の日本海側の山形県にあります。山形県の形は男の人の横顔に似ています。その後頭部の辺りに位置します。東北のヘソ- - - - - かな
世帯数は160軒くらい。人口は五百人くらいでしょうか。
旅館・商工業者・農家・サラリーマン、いろんな職種の人が住んでます。
住所で言うと、山形県最上郡最上町大字富澤。戸籍上は赤倉温泉という住所はありません。
(新潟県妙高にも同名の赤倉温泉があります)
(最上町には最上川はなく、小国川が流れています)

<赤倉地名伝説>
地名由来に幾つかの言い伝えがある。平安初期、天台宗の高僧、慈覚大師円仁が、山形市の山寺を開山した三年後の863(貞観5)年に、奥羽地方巡行の折、当地を訪れたという。村人が小国川の水で、傷を負った馬を癒している姿を見た円仁は、手にした『錫杖(しゃくじょう)』で川底を突くと、石の間から薬湯が湧き出たのが現在の赤倉温泉とされている。

 時を経て、鎌倉時代の山岳修験隆盛期、当地方と宮城県境付近にそびえる翁山(おきなさん)は信仰の山として栄えた。当時、行者たちは翁山に源流を発する小国川を聖なる川とあがめ、円仁ゆかりのいで湯で身を清めた後、川の水を仏に供えて翁山へ向う習わしがあった。そこで仏事に用いる水を意味する仏教語の『閼伽(あか)』が地名にも反映し、後に『赤』の一文字に替えたという。語尾の『倉』は、地名辞典によると『蔵』と同意語とされ、元の意味は危険な岩場を指すと載る。当地も古くは険しい河岸段丘の地形で、いつの世にか『赤倉』の地名が定着したらしい。
 さらに江戸期の『新庄領村鑑(むらかがみ)』という文書には、『小国日向守(おぐにひゅうがのかみ)』家中、富沢の枝郷の赤倉村に『疝気(せんき)』、いわゆる腹痛に効く温泉が、川端に小屋掛けしてある。そこは尾花沢へ至る峠筋にあり、旅人が立ち寄る事も多い。湯の中には、人の『垢(あか)』を食う小さな虫がいて、それを“垢食い虫”と呼んだことから『赤倉』の字を当てたと記され、なんとも信じがたい地名の起こりである。             (山形新聞 平成17年1月9日記事参照)

自分が今立ってる場所に、千何百年前にも立ってた先人がいて、何かを考え、何かを思い、暮していたなんて、とても不思議な感じがします。




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