2013年10月1日火曜日

神無月

10月に入った。 神無月 である。

神無月の語源は、神を祭る月であることから『神の月』とする説が有力とされ『無』は『水無月』と同じく『の』意味する格助詞『な』である。また、全国の神々が出雲大社に集り、諸国に神がいなくなることから『神無月』になったという説もある。
英語での月名、Octoberは、ラテン語で『第8の』という意味の"octo"の語に由来している。以前は3月が年始であり、3月から数えて8番目という意味なんだそうだ。
そういえば、たこの八ちゃんはオクトパス。

赤倉温泉には 薬師神社 があります。


               上の写真は年代は不明ですが、昭和の初期のようです。

 お薬師様を正しくは薬師瑠璃光(るりこう)如来と呼び、東方瑠璃光の世界の教主で十二の大誓願を発して、衆生(しゅじょう)の病苦を救い、迷いや本能の働きで真理を悟れない凡人を治療する法薬を与える如来様である。そのお姿は大蓮華(だいれんげ)に鎮座し、左手に薬壷(やっこ)を持ち、右手には衆生を救う施無畏(せむい)の印を結んでいる。つまり、お参りする人の心や身体の病を治療する薬壷から法薬が与えられるのである。


赤倉温泉の薬師様は慈覚大師が貞観(じょうかん)五年(西暦863年)、東北巡業の途上に赤倉温泉を発見、大師自ら彫られた薬師三尊、薬師如来と脇侍(きょうじ)として日光菩薩、月光菩薩を御安置された。
大師の発見された湯は万病に効くと大評判になり、湯治客が増え、翁山(おきなさん)参拝、最上巡礼客などから名湯としてひいきにされ、今日では悠久(ゆうきゅう)の名湯として客が訪れる。赤倉温泉の熱気が鳥追いとなり、若者らによる勇壮な裸祭が地区の今を伝える。
広報もがみ平成17年1月20日号

かつて薬師堂は、温泉より南東側の小国川上流にあった。『新庄領村鑑』には縦十五間に横十間の境内地を持つ『薬師』として載っており、奥の院もあったようである。だが、幾多の水害に遭い、1848年(嘉永元年)に現在地に移築したという。
現在のものは、地域の方々のご寄付により、平成15年に改修されたものである。

赤倉の『お薬師様』の祭礼日は本来、旧暦の四月八日であったが、新暦の五月八日になり、現在は五月の第二日曜日に行われている。本神輿はもとより、小学生の俵神輿、幼稚園児の神輿、更には最上中の吹奏楽部が楽器を演奏し華を添える大変にぎやかな春祭りである。一軒一軒『家内安全、商売繁盛』と大声を発し赤倉中を練り歩く。
更には旧暦の小正月(現在は一月十五日に近い土曜日)、からだに下帯を締めただけの若衆達が、『とりぼいだー』と気勢を上げ、御神火より松明に火を付け、 お柴灯 に点火し、その年度 御祝儀をあげた家・上棟をした家・子供が授かったい家・旅館・飲み屋を回る。
赤倉温泉にとってお薬師様は、心の中心にあるといっても過言ではないだろう。


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